3. まず、生き残る|酒造家 藤岡美樹さん インタビュー
大切なのは「生き残る」こと
学生の時にはじめてしぼりたてのお酒を飲んで思った「造って売れる蔵人になりたい」という夢は実現しました。
しかし、つぎに転職した酒蔵で大変なことが起こります。杜氏(酒造りの最高責任者・チームのリーダー)を目指して入った酒蔵が、1度も酒造りをすることなく、たったの3ヶ月で倒産してしまったのです。藤岡さんを含め社員全員が解雇されてしまいました。藤岡さんにとって大きな転機でした。
— 次に入った酒蔵が倒産して、藤岡さんの中で何が変わりましたか?
それまでは、「美味しい日本酒を造ってさえいれば、飲んでくれるだろう、売れるさ、やっていけるさ」と思っていたんですけど、本当に目の前で自分の乗っている船が沈んでしまって。そんなことを言っている場合ではないと。
日本の酒蔵はどんどん減ってますし。いまは日本酒ブームみたいな感じで、若い方が飲んでくださっていますけど、それでも、日本酒の一年間の製造量は増えていないんですね。
日本酒を飲んでもらうためだったら、生き残るためだったら、何でもやらないとだめなんだという、決意が生まれました。
川鶴酒造に入社してからの藤岡さん
その時に川鶴に欠員が出ていたわけでもなく、それで採用していただけるということは、会社にもすごく負担をかけてしまうことなので。
「甘えていいのかな」という思いはありました。でももう一度酒造りをする会社で働けるということは、すごくありがたかったですね。迷惑をかけてはいけない、というのが先に立って、1ヶ月位悩みました。
でも酒造りにたずさわれるチャンスをいただけたことは、うれしかったですね。この会社のためにも、何があってもやるぞ、と思いました。
— 川鶴酒造で最初にやった仕事は何でしたか?
ラベル貼りをしました。入った時は11月末で、年末の出荷が忙しかったので、年内はずっとラベル貼り。その後は濾過だったりお酒の処理をさせてもらって。
ラベル貼りをすることで会社の商品のことが全部覚えられました。酒造りの部分はもともと経験がありましたが、お酒の処理の経験はなかったので、どういう処理をしているかが覚えられるんで、川鶴をよく理解できるように仕事を組んでくださったんです。