2. 造って売れる蔵人|酒造家 藤岡美樹さん インタビュー
「造って売れる蔵人」になりたい!
やっぱり、お酒が造られるところ、発酵している様子を見て、こういうものを自分で造ってみたいと思ったのと、しぼりたてを飲んでみた時に、「こんなに美味しいものをみんな知らずにいるのはもったいなあ」と。
だったら美味しいものをちゃんと造って、造った人の言葉で「日本酒は美味しいよ」というのを伝えて、そして飲んでもらうようになりたい。そう思いました。
— それで酒蔵に就職したのですね
はい。私が就職した20年前は、酒造りの世界は完全に男性社会で、ほとんど女性の蔵人さんはいなかったです。
地元の三重では酒蔵への就職がなくて、就職できないんだったら、デパートでお酒を売る勉強をしながら冬には蔵でバイトに行こうかなと思っていたところ、八咫烏(やたがらす)さん(奈良県の北岡本店)で「そんなに酒造りがしたいんだったら、うちに来たらいいよ」ということで採用してもらいました。
— 酒造りはかなり重労働ですよね。力仕事もされたのですか?
酒造りはチームでやるんですね、5人とか6人とか。その中の一人が半人前みたいな感じだと、周りの人に負担がかかってしまうんです。だから、力仕事も同じようにやっていました。
女性だというのがあるので、名前でさえも呼んでくれなくて、「おい、ねえちゃん、これやっといて」みたいな。
もう60歳を超えた人ばかりのところでやっていたので、なかなかチームの一員として認められなかったです。
「こいつ、まあまあやるやんか」と思ってもらうまでは、2年、3年とかかりました。
ただ、酒造りができて、売りにいけて、うれしい
— どうやって耐えたんですか?
「耐えた」って言うよりも、「わーい!酒造れる。うれしいな!」みたいな。ずっと「やれない」と思ってきたことがやれるので、好きな酒造りにたずさわれているわけですから、おおむね幸せでした。
目の前で仕込みを見られるし、酒母の担当もさせてもらったりしていたので、そこはやっぱり楽しかったですね。多分体力的に大変だったんでしょうけど、そんな大変な感じはなかったですね。
— どうして楽しかったのでしょう?
目の前でお酒が発酵していって、それがちゃんとしぼられて、商品になっていって、お客さんが買ってくれる。
「造って売れる蔵人になりたい」ということで入れてもらったので、デパートの試飲会とかイベントにも出してもらえました。自分が少したずさわったお酒をお客さんが実際に飲まれてどう思われるかということも聞かせてもらえる立場だったので。
お客さんに心の底から「美味しい」って言ってもらえたら、やっぱりうれしいですね。お客さんが自分が造りにたずさわったお酒を飲んでくれる。そして美味しいと思ってくれるんだったら、「また今年も大変だけど一冬がんばろう」みたいなことろはありましたね。
ただ酒造りができて売りに行けるのがうれしいというような感じでしたね。
— 「造って売れる蔵人」を実現したのですね
そうなんです。その頃は酒造りは分業制で、造る人が造って、造りが終わったら帰っちゃって、造ったお酒の管理は違う人がして、売るのも違う人がして、という感じのことをしている蔵がほとんどでした。
造る人がお酒の管理をして、その人が売りに行く、またその人が造るっているサイクルはあんまりなかったのですね。
そうやって全てに関われたら、もっともっと日本酒の良さを伝えれるんじゃないかなと思っていたので、それが出来たのがうれしかったですね。
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