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世界のsaké醸造の潮流について

日本酒コンシェルジュ Umio 江口崇 日本酒コンシェルジュ Umio 江口崇

海外醸造のsaké、3つの潮流

前の記事では3つの国にあるsaké醸造所をめぐって土地を感じる酒に出会った話をした。

この旅を通して見えた、海外で醸造されるsakéの120年以上にわたる歴史での「3つの潮流」とその未来について話そうと思う。

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内向の時代(1910年代から)

海外醸造のsakéは、大きく3つの時代に分けられる。一つは「内向の時代」、日本人が日本人のために酒を醸していた時代だ。日本が海外に進出した19世紀終わりから20世紀始めにかけて、米国・ハワイ・南米・台湾・朝鮮・中国など移民が活躍した地域や植民地で醸造されていたが、移民や在留邦人向けがほとんどだった。

1900年代には日本酒を世界に輸出しようという機運もみられた。当時の日本人が慣れ親しんでいた木樽由来の木香が外国人に受けないから除いたほうがいい、など海外の人に受け入れられるにはどうすればよいのかの議論がこの頃にはあった。

伝播の時代(1980年代から)

2つ目は「伝播の時代」、1980年代から90年代にかけて、sakéが日本人向けから非日本人向けにシフトしていった時代だ。これに先立って、米国やブラジルで「日系人や在留邦人による自分たちのため」の日本料理店が、現地の非日本人に人気を博すようになった。さらにこの背景には、健康食としての日本食の認識と、企業進出による駐在員コミュニティーの広がりがある。

ブラジルでも健康志向に応じて日本食と日本酒が人気を得た。1934年、日系人のために東山農産加工(現 Kikkoman do Brazil、ブランドは Azuma Kirin)でsakéの醸造がはじまった。その後、日系人の酒需要減とともに縮小するが、2000年代にはカクテルベースとしてのsakéで業績を伸ばした。Sakéカクテルはsushiとともにブラジルの食文化の一部となっている。ブラジルでのsakéは「内向の時代」と「伝播の時代」を通して発展していることが興味深い。

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現地化の時代(2000年代から)

第3の時代「現地化の時代」では、sakéは日本人のコンテクストから自由になった。2000年代から世界中でsakéを醸すマイクロブルワリーがうまれた。現地の人が現地の人のために醸すことが、今までの2つの時代と異なっている大きな点だ(日本資本で日本人が醸すケースもある)。日系人や在外邦人のコンテクストから離れたところにあるのが大きな特徴で、最も重要な点だ。

この背景には、和食とそこから発展した現地化した和食が普及して、それぞれの土地に根付き始めていることがベースにある。非日本人が経営し、非日本人が料理する日本料理店が出現した。

ここで興味深いのは、これらのマイクロブルワリーは日本人のコンテクストから自由だけれども、そこでsakéを造っている人々は日本の醸造技術を学んだだけでなく、日本酒や日本文化に大いなる憧れと尊敬をもっていることだ。

世界のsakéの未来

和食も日本酒も、日本人だけのものでない。むしろ「日本人」というコンテクストから離れることで発展し、進化を遂げる。どんな分野でも、しがらみや固定観念から解き放たれることでイノベーションは生まれる。でも歴史と伝統のもつ素晴らしさを忘れてはいけない。伝統と革新に上下関係はなく、フラットな位置関係にある。その意味で、日本の日本酒と世界のsakéはそれぞれに発展してお互いに影響を与え合う存在なのだ。これから顕著に見えてくるだろう。ワクワクする未来が待っている。

多くの海外saké醸造家(私がお話を聞いた方は全て)は、日本の日本酒を目標にしており、とてもリスペクトしている。むしろ日本の醸造家よりも伝統を守ろうとする姿勢があると感じるときもある。それでも、日本の日本酒にはない味わいの特徴が出るだけでなく、新しい飲み方・飲酒文化が生まれてくるのがおもしろい。これが地酒の素晴らしさなのだ!

(酒旅のストーリーにつづく…。)

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