3. 山廃造りは微生物のバトンタッチから|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

3. 山廃造りは微生物のバトンタッチから|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

前回に引き続き、酒造りでの発酵のスターター「酒母」のお話です。酒母づくりの複雑なメカニズム、偉大な先人の知恵を横坂さんが語ります。

引き続き、酒母室にて

横坂: これが、昨日仕込んだところの酒母です。全部山廃です。うちの場合は無添加です。

―― 無添加というのはどういうことですか?

**横坂:**実は山廃というのは、天然乳酸なんですよ。速醸は既成の乳酸を使うんですけど、生酛・山廃というのは空気中の乳酸菌で乳酸発酵させるものです。

このタンクは開放といって、上が全部開いてますよね。開放ですから、空気中にいる、いろいろなものが中に入り込むわけですよ。

―― 関係ない菌も入り込むんですね

横坂: そうです。そういった雑菌を淘汰させるというのが乳酸菌なんです。乳酸発酵することによって乳酸が生まれて、つまり酸が生成されるわけですよ。PHが下がってくるわけです。

ほとんどの微生物というのは酸に弱いですから、その中で増殖できるというのは清酒酵母しかないんです。雑菌は活動できないんです。

ちょっと、この甘酸っぱいような香りが、ほんのり感じられるでしょう。これが乳酸発酵です。

だから、先人はこの天然乳酸で、乳酸発酵をさせて、こうやって舐めながら、「酸っぱくなければいいものができない」と。

山廃造りの酒母

先人の知恵が受け継がれた山廃の酒母造り

―― そのメカニズムは解明されていなかったんですよね

横坂: 江戸時代とかは、電気もガスも温度計もなかったわけですから。微生物の存在さえ知らなかったわけですから。でも見事にお酒というのは、昔から延々と造られてきているんです。

メカニズムをを知らなくても五感で感じていたわけですね。

江戸の後期にはこの生酛造りというのは確立されていたわけですから。

酒母の中で行われる微生物のバトンタッチ

先人が五感で感じ、失敗を繰り返しながら確立させた生酛(きもと)造りという手法。山廃造りはその生酛造りのひとつです。生酛・山廃造りの酒母の中では、2種類の微生物がバトンタッチして、アルコールを生成する清酒酵母が働きやすい環境をつくります。この複雑な手法を確立したのは驚くべきことです。

横坂: 実はですね、乳酸菌の前に硝酸還元菌という菌が水の中の硝酸を亜硝酸に変えるんですね。

この亜硝酸と乳酸のダブル効果で一気に自分たちにとって不都合な酵母を淘汰してあげるんですよ。つまり清酒酵母が誰にも邪魔されずに活動できる環境を作ると。

それもまあ、先人の知恵ですよね。

まず目に見えない硝酸還元菌が征服してきて、一つブレーキを掛けて、そして乳酸菌が作る乳酸で2つ目のブレーキ。ダブルで、だんだん酒母を酸性に持っていくんです。そうすると、清酒酵母しか存在し得ない状態がつくられるんです。

バトンタッチですね。硝酸還元菌と乳酸菌が一緒になってダブルで山を作ってくれる。最初のほかの野生酵母を淘汰する第一段階をやってくれるのが硝酸還元菌。その後乳酸菌にバトンタッチして、次は清酒酵母が活動する、と。

酒母における微生物のバトンタッチ

―― そんな複雑なことを昔の人はやっていたんですね。

横坂: 五感でわかっていたと思うんです。「酸っぱくしなくてはいけない」ということを失敗を重ねて学んで

微生物に働いてもらうために人間がすること

―― その中で人間ができることは温度管理だけということでしょうか?

横坂: どういう形で面倒を見るかということが大切です。放っておくだけではできませんから。

こんな感じで櫂(かい・酒母や醪をかき混ぜる長い棒)を使いながら。あとはまさしく温度管理ですよね。酵母が居心地の良い温度にどうやってもっていくかと。

硝酸還元菌もあまり温度が低いと動きが鈍いので。でも、7〜8度くらいの状態だと活発に動いてきますんで、暖気樽(だきだる)を入れて、その温度帯にもっていて、地ならしをするんです。

(暖気樽とは、中にお湯や氷水を入れることができる樽のこと。これを酒母タンクの中に入れることで酒母の温度を調節します)

横坂: 下ごしらえが硝酸還元菌なんです。ほかの野生酵母を淘汰する第一段階をやってくれるのが硝酸還元菌。

このあと暖気樽を入れることで今度は糖が生まれます。麹に含まれる酵素の働きです。

その酵素が働く温度、55度の環境を作ります。だいたい75度のお湯を入れると暖気樽の周りが55度になりますので、そこで麹の酵素がお米のデンプンを糖に変えていきます。

暖気樽の周りだけがピンポイントで糖化されます。その糖を食べて乳酸菌が乳酸を出すわけです。乳酸発酵は糖発酵ですから。

この中で実は硝酸還元菌は乳酸菌にやられてしまうんですけど。やられるというよりはバトンタッチというか。

―― ここに技術力が要求されるわけですね。

横坂: そうです。ある程度生酛・山廃のレシピが有りますけど、操作の方法というのはいろいろ変わってきます。

その日の温度、状態を見た時に、暖気樽を入れる時間はどうするのか、とか。中の状態をチェックしながら進めていきます。

伝統と自然のちから、そして技術

「先人の知恵」を受け継ぎ、「守り神様」という自然の力に敬意を払いながらも、技術力に裏打ちされた丁寧な温度管理と詳細な分析をする横坂さん。謙虚でプロフェッショナルな姿勢に心を打たれた酒母室での対話でした。

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