酒と旅と恋「八千矛 上撰」日本酒テイスティングノート
〈日本酒レビュー〉軽やかだけど骨格のある味わい深い酒。出雲大社の御神酒。
旅先で出会った酒は旅に関わりのある酒だった
ある頃から、旅先で酒を買って帰ることをやめた。地酒をその土地で味わうことができるならそれに越したことがないし、旅の道中は身軽でいることが快適さにつながるからだ。
それでも、どうしても酒を買ってしまうことがある。何度目かの出雲への酒旅で「八千矛」の一合徳利瓶に出会った。ラベルには「出雲大社 御神酒」と書かれている。肩の曲線が美しく、蓋もスクリューでなくて王冠なのが気に入った。家で燗徳利として使いたいと思った。このタイプの一合瓶は飲食店で燗酒を提供するのに使われていたという話を聞いたからだ。
純米酒「八千矛(やちほこ)」は出雲市大社町の古川酒造が醸していた出雲大社の御神酒銘柄だが、2013年に同市内の旭日酒造に引き継がれた。八千矛は出雲大社(いずものおおやしろ)の主祭神、大国主命(おおくにのぬしのみこと)の別名で、記紀神話(8世紀はじめに書かれた古事記と日本書紀にある神話)の中で最も親しまれている神である。
酒旅で出会った「八千矛」は偶然にも、酒と旅と深い関わりのある酒だった。
古事記に、八千矛のお后の「すせりひめ」が詠んだ歌がある。彼女は、馬に乗って旅に出ようとする八千矛に対し、「あなたは出かける先々に彼女がいると思うけど、どうか行かないでください」と盃を差し出すのだ。
軽やかだけど骨格のある味わいが膨らむ酒
美しい山吹色、いい色だ。常温の酒を平盃でいただく。軽やかに入って、乳っぽい香りに米粉や餅を感じるふくよかさ。酸味が少なめのカッテージチーズのよう。そしてよく切れる。
少しずつ温度を上げていく。キラキラとした杏のようなニュアンスが出て来る。その後、酸味とまろやかな甘味のあるフルーツを感じさせる。体温に近い温度になってくると、やわらかい米の感じときゅっと締まる柑橘の渋みが出てくる。すごくやさしい。そして酸味が際立ち、酒に骨格が備わってくる。
45度くらいになると、甘味と酸味がしっかりとしてくる。甘味・酸味・うま味がバランスよく、ダイナミックに迫ってくる。ふわっと、いつの間にかいなくなるように切れ、余韻にはポン菓子のような甘い米の香り。ああ、これは米の酒なんだと実感する。50度を少し超えたくらいでは、温かさと酸味、甘味、米の香りを堪能する。60度ではミルキーでほっぺが落ちる。
あっという間に一合を空けてしまった。いろいろな味がしっかりとバランスを取りながら膨らんでいく。飲んでいて幸せになる酒だ。
(テイスティング日: 2022年2月24日)
ラベル情報
八千矛 上撰
- 〈醸造元〉 旭日酒造(島根県出雲市)
- 〈仕込み水〉 -
- 〈原料米〉 -
- 〈精米歩合〉 70%
- 〈杜氏〉 -
- 〈特定名称/種別〉 -
- 〈アルコール度数〉 15度
- 〈原材料〉 米(国産)、米麹(国産米)、醸造アルコール
- 〈製造年月〉 2021-11
- 〈その他情報〉 ラベルに「出雲大社御神酒」
参考文献
- 沓掛 伊左夫. 1937. 日本文學に現はれた酒の表情1. 日本釀造協會雜誌. 32 巻 2 号
- 武田祐吉 校註. 1948. 記紀歌謡集. 岩波書店.
- 記紀歌謡集 - 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1069683