横坂安男

不老泉の呑み切りと単純接触効果〈酔いの余白〉

不老泉の呑み切りと単純接触効果〈酔いの余白〉

夏の呑み切り 夏の酒蔵の一大行事「呑み切り[1]」に参加するために琵琶湖の西・高島新旭の「不老泉」で知られる上原酒造へ行って来ました。 不老泉・上原酒造と云えば「山廃造りと木槽天秤搾り」で我が道を行く個性蔵で、呑み切りは不老泉loversの間では人気です。今年も鮮烈59品目のラインナップの試飲です! 夏の盛りの7月下旬の土・日の二日間で、不便な場所にもかかわらず300名弱の問屋・酒販店・飲食店・一般消費者である自覚的[2]ファンが訪れる、オープン参加の夏の風物詩的な行事です。 そして、この中から秋には「冷やおろし」の酒として育って行くのでしょう…。 蔵では、蔵元がいつもの泰然自若の笑顔で、皆様のお出迎え。訪れた人々の熱いパワーをしっかりと受け取り、今年の酒造りに託してくれることでしょう!! 神々しい試飲と翁顔の杜氏 上原酒造へは3回目の訪問ですが、今回が初めての夏蔵…。 ひっそりと静まり乾いた空気の中、「自覚的不老泉ファン」の群れが、朝一番の気怠さの沈黙と、緊張と興奮と驚き(試飲酒の多さに)が醸し出す、とても神々しい雰囲気に、真剣度を増幅させる…。
はんなり酔吉
不老泉・上原酒造の初呑み切り、2回目の参加(2016年)

不老泉・上原酒造の初呑み切り、2回目の参加(2016年)

(2016年7月31日) 昨年(2015年)に引き続き、「不老泉」上原酒造の初呑み切りに参加してきました。 呑み切りとは? 一般に、冬に造った酒はひと夏以上寝かせてから出荷します。その前にその品質をチェックするのが「呑み切り」で、酒造りの大切な工程の一つです。 美しい高島の風景 上原酒造が蔵を構えるのは、滋賀県高島市新旭。京都から1時間ほど新快速に揺られて新旭駅で下車、そこからコミュニティーバスに乗ります。 バスを降りると飛び出し坊やがお出迎え。すでに参加者もちらほらと。 バス停から歩いてすぐ、上原酒造に到着です。 酒林(杉玉)もすっかり熟成しています。素朴でいい形です。 一方、山廃仕込み新酒は出荷に向けて熟成中。今回は27BYの新酒をはじめ、26BYのお酒を利きました。23,24,25BY、古いもの11BYのお酒も呑み切りの対象に含まれていました。 かばたの水 これはこの地区を流れる良質な地下水、かばたの水です。仕込み水に使われます。 👉 1. 酒蔵に湧いている水が原点|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安
日本酒コンシェルジュ Umio 江口崇
9. 家族が支えてくれた「二刀流」の生き方|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

9. 家族が支えてくれた「二刀流」の生き方|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

前回までのインタビューの内容は12月の末に行われたものです。気温が下がり、山廃の酒母をつくりはじめる時期でした。その後、3月に入って再び横坂さんにお話をお伺いしました。 甑倒し(こしきだおし)という、米を蒸す作業を終える儀式を終え、あとは仕込んだお酒を搾るだけ、という酒造りのシーズンも終わりに近づいた時期でした。 場所は分析室。酒母や醪の状態を分析したり、酒造りを始める前に図面を書く(酒質設計や醸造計画を策定する)部屋です。 壁には先代の山根杜氏の写真がかけられています。横坂さんは酒造りを始める前と終えた後、ここで山根杜氏と向き合うといいます。 分析室は、横坂さんが酒と向き合い、人と向き合う場所です。酒造りも終わりに差し掛かったこの時期に横坂さんが話してくれたことは、酒造り人生とそれを支えた家族の存在でした。 「二刀流」の生き方 夏は米を作り、冬は酒を造る。酒造業界に入った時この「二刀流」の生き方に魅了され、今はそれを実践している横坂さん。家族に支えられて、酒造りを続けることができたと横坂さんは語ります。 横坂: 酒造りは本当に面白い仕事だと思ってます。た
日本酒コンシェルジュ Umio 江口崇
8. 酒造りは一期一会|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

8. 酒造りは一期一会|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

となり町の安曇川にある「魚仁」に場所を移して、横坂さんのお話は続きます。ここは先代の山根杜氏もよく使っていたお店です。 酒造りは一期一会 最初に入った貴娘酒造では、五十嵐武明杜氏の酒造りと農業の「二刀流」に魅了され、岡山では山田錦を栽培する岡田徳行杜氏のもとで働き、その後千葉にある奥様の実家で米作りを始めた横坂さん。 そして、先代の山根杜氏に「お前の米を持って来い」と言われて醸したのが「不老泉 山廃純米吟醸 総の舞」。横坂さんは酒造りを通してずっと米と向き合ってきました。 横坂: 俺たちの仕事で何がうれしいかと言ったら、それは単純明快で、「1年でリセット」ということなんですよ。 お米で言えば、「27年産米は終わりました、来年は28年産米です」。 毎年違うんです。1年でリセットなんですよ。新しい米の出会いというのは、そこで初めてのもの。データはないですから。 そこでいいんじゃないですか、一期一会で。一期一会って裏を返せばリセットですよ。 次の世代に何を残せるか 横坂: でもやっていることの技術は常に向上するわけですよ。だから手強いほど、データがない
日本酒コンシェルジュ Umio 江口崇
7. 酒も造るけど人も作る|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

7. 酒も造るけど人も作る|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

横坂さんが杜氏制度の中で身を持って学んだこと、職人としての生き方とは何か、酒造りの楽しさ、を語っていただきました。 酒も造るけど人も作る 山根杜氏を受け継ぎ、伝えていく。そう決心した横坂さんの職人としての生き方の根底には、杜氏制度の中で体験した「酒も造るけど人も作る」という生き方があります。 横坂: さきほど、杜氏さんから暖簾分けした弟子たちがその杜氏さんが亡くなった時にお墓を建てた、って話をしましたよね。 当然どの世界でも人を育てるという思いはあるけれども、あとは自分自身の力で、酒造りに向き合った時の行動次第なんだけども。 でも、ちゃんとそういう形で、弟子たちを旅立たせることができた人、それをもって師匠だと。人の上に立って、酒も造るけども人も作る。 私はその時代の中で生きてきた人間なんで、そういう素晴らしい方を見てるんで。 だから、その気持ちは忘れずに蔵人たちと向き合いたいなと。人を作ってやっと今、自分がやっている仕事というのが成立するんだなと。 大切なものは何か? 横坂: 大切なものは目に見えない。その大切なものというのがわかって、それに魅力
日本酒コンシェルジュ Umio 江口崇
6. 米を作り、酒を造った山根杜氏を継承する|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

6. 米を作り、酒を造った山根杜氏を継承する|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

不老泉・上原酒造の横坂杜氏のインタビュー。第5回。「秋にはお前の米を持ってくるんだぞ」という言葉を残して旅立った先代の山根杜氏。その言葉を受け止め、横坂さんは予定していなかった米作りをすることにします。しかし、そこには大きな壁が立ちはだかっていました。
日本酒コンシェルジュ Umio 江口崇
5. 先代の山根杜氏との一冬|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

5. 先代の山根杜氏との一冬|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー

山根杜氏のもとでの酒造り 「無添加山廃」に魅せられた横坂さんは、不老泉で20年以上無添加山廃造りを続けてる山根杜氏のことを知ります。そしていつか山根杜氏のもとで酒造りをしたいと思うようになりました。 そして、2013年に横坂さんは不老泉の上原酒造で働くことになりました。「山根杜氏のもとで蔵付き酵母の無添加山廃造りをしたい」という横坂さんの思いが実を結んだのです。でも、横坂さんが山根杜氏とともに酒造りをできたのはほんの短い期間でした。 横坂: 実は私は山根杜氏とは一冬しかつながりがないんですよ。 山根杜氏が、忘れもしない12月9日の日にですね、こう言ったんです。 「社長も身内も知ってるんだけど、実はね、横坂、今日って日はな、5年前に余命5年と宣告された日なんだ。ということは、明日からはおまけの人生だ。これからは、いつ何が起きても不思議じゃないことだ。だから、お前にはそのことを言っておく」と。 本当に山根杜氏は自分の身を呈して。私はこのあと半年間、酒造りを教わりました。中身の濃い一冬でした。 というか、足りなかったですよ。山根杜氏の一語一句、山根杜氏との一分一秒
日本酒コンシェルジュ Umio 江口崇