イベントレポート Mariko’s Sake Bar で「まりこの酒」を楽しみました! 1日限りの日本酒バー Mariko's sake bar に行ってきました。欧州での日本酒造りを目指すマリコ・レベイエさんの主催です。
インタビュー 他の酒蔵に学ぶこと、こだわりを捨てること|新澤醸造店蔵元杜氏・新澤巖夫さんインタビュー 後編 新澤醸造店蔵元杜氏・新澤巖夫さんのインタビュー、後編は酒造りの現場について語っていただきました。淡々と努力を積み重ね、技術を上げていく、造るお酒の品質を上げていく。この姿勢を支えるスピリットは何か。新澤さんに聞きました。
インタビュー 8. 挑戦してはじめて分かったこと|酒造家 藤岡美樹さん インタビュー オープンな日本酒業界 藤岡さんが酒造りを教わったのは、今まで勤務した酒蔵の杜氏さんや蔵人さん。でも日本酒業界では会社の枠を超えた技術交流がとても盛んです。 藤岡さんも他の蔵の酒造家の方から教わったり、教えたりしたりして切磋琢磨しています。その中で京都・伏見にある北川本家の杜氏、田島さんの言葉は藤岡さんの酒造りに大きな影響を与えたといいます。 日本酒業界って不思議なくらいオープンなんですよ。結構、横のつながりで教えたり教わったりできるんですよね。食品業界の方はびっくりしますね。 — それって企業秘密ではないんですか? なんでしゃべるかというと、みんな絶対真似できないと思っているから。酒蔵ごとに水が違うし、気候が違うし、環境が違うし、そもそも違うことだらけだから。全く同じ方法で造っても、違う蔵でやれば同じものはできないんですよね。例えば米の状況が違えば、聞いてきた話は適用できないんですよね。 それこそ、やっぱり、自分の経験と自分の勘と自分の応用力がないとできないので、なので、わりと日本酒の業界はしゃべりますね。 — 藤岡さんも教えたり教わったりするんですか? 私が尊敬する杜氏さん、北川本家の田島さんには酒造りのことをたくさん教えていただきました。 私が以前、「酒を造るのが怖い、自分で造らなきゃいけなくなって怖い、今までやったこともないし、新しいものだし、どうしたらよいかわからない」って言った時、田島さんにこう言われたんです。 「藤岡さんに一番足りないのは、失敗することです」 「失敗しても死にませんよ。だけど、失敗しないとわかんないことがあって、失敗するとやっぱり怖い目にもあうから、次から気をつけようと思うし。とにかく、現場で失敗したら、いまあなたが怖いと思っていることのほとんどは大したことじゃない、
インタビュー 7. 怖くて仕方がなかった|酒造家 藤岡美樹さん インタビュー 怖くて仕方なかったけど、一本やってみた — 低いアルコール度数で原酒を造ることは難しいと聞きましたが 低いアルコール度数で原酒を造ることは難しいです。醪の管理をきちんとしていないと発酵が止まってしまったりしますし、単純に度数が低い状態で絞ると、香りが変わってしまったり、リスクもたくさんあるので、そこを見極めて作っていくというのは、大変難しいです。 ずっとつきっきりでした。 はじめてなので、やっぱり分からないところが多かっですね。それで、毎日分析をしながら、経過簿(醪の状態を分析したものを記録したもの)と醪のタンクとにらめっこしながら、ずっと造っていましたね。 熟練の杜氏さんはある程度間隔を開けて分析したりするのですが、私は一年生だったので、毎日分析しました。 もう、生きた心地がしない一ヶ月でしたね。 仕込中は、例えば麹をつくるにしても、自分の思っている麹にするにはどうしたらいいかとかがわからないですから、夜に何度も醪を見に行ったりしました。仕込中はほとんど家に帰らずにいるような感じでした。 だけど、はじめてタンク一本全部造って、世の杜氏さんたちのおっしゃっている意味がはじめて分かりました。 はじめて全部造ってみたら、「ああ、こうやったらもっと良くなるんだ」とか、「ああ、こうしたらこうなっちゃった。失敗してしまった」ということが分かるようになって。 やる前は怖くて怖くてしょうがなかったんです。でも一本やってみて得られたことがあって、机上の理論と実際やってみる現場でわかったことすり合わせができて、すごく勉強になりました。 自分で酒造りをしてはじめて理解できたこと — 例えばどういうことですか? 例えば、お米。日本酒の原料はお米で、農作物が原料なので、
インタビュー 6. かわつる14|酒造家 藤岡美樹さん インタビュー はじめて自分で造りの設計・指揮をした「かわつる14」 2015年に、藤岡さんははじめて醸造の責任者としてひとつの仕事を成し遂げました。「かわつる14」がそのお酒です。 — 「かわつる14」というお酒について教えて下さい これは今年はじめて造った日本酒です。 私、ずっと日本酒にたずさわってきたんですけど、「酒母をつくる」とか「麹をつくる」とか部分部分での仕事をしてきたんです。自分で全部配合を作って、お米の吸水歩合も決めて、醪の管理もしていくというのは、今までやったことがなかったんですけど、今回はじめてさせてもらいました。 — はじめて設計・指揮をしたお酒ということですね そうです。いままで、例えば「おいでまい」という米を使ってお酒を造るということだったら、「こういう感じの味わいでコンセプトはこうですよ」みたいなことはやっていました。 実際にお米の吸水を見たり、麹をつくったりということは、杜氏さんがしてくださっていました。この現場作業も含めてやらせてもらったのは、この「かわつる14」がはじめてですね。 — 長年の夢がかなったのですね はじめての造り。うれしかったですね。 でもやっぱり、これ1本をやると、「これは良く出来たな」と自分では思うんですけど、「もっとここをこうしたら良くなるのに」「来年はこうしてみたい、ああしてみたい。そしたらもっとここが良くなるのに」みたいなことは、出てきますね。
しぼりたての日本酒 搾り(上槽)〈伏見帖〉 いよいよ日本酒造りの最終工程、「搾り(上槽)」です。もろみを濾して液体を取り出します。これが日本酒です。ここで残った個体の部分が酒粕になります。 仕込んでから2週間から5週間でもろみが十分に発酵して搾れる状態になります。もちろん計画は立てますが、実際にいつ搾るかはもろみの状態を確認して決めます。早すぎても遅すぎてもおいしい酒になりません。いつもろみを搾るかを決めるのは杜氏さんの役割です。 杜氏さんは、仕込んでから毎朝、もろみの状を確認します。今は分析器にかけて成分を調べますが、基本的に味や香り、見た目で判断します。分析にかけるよりも早くわかるからです。 育てあげたもろみを世に送り出す 搾りの日は、蔵の方々は朝5時から準備を始めます。朝の気温が低い時はもろみの発酵の状態が安定するので、搾っている間に発酵が進んでしまわないようにするためです。 この日は、始発列車で蔵に向かいました。駅を降りて蔵に近づくと、華やかな青りんごの香りがあたりを漂っていました。 普段はやさしい蔵人さん、杜氏さんも、この日はとても真剣な表情で、酒蔵の空気ははぴりりと張りつめます。搾りは酒造りの最後の工程、今まで丁寧に積み上げてきた酒造りの集大成です。緊迫した空気ともに、いままで育て上げてきたもろみを世に送り出すという蔵人さんたちの気持ちの高揚感を感じました。 搾りの作業 いよいよ搾りの始まりです。蔵人さんたち全員が集まって作業を行います。もろみを大きなひしゃくを使って丁寧に絞り袋と呼ばれる綿の袋にいれていきます。 大量のもろみ袋に入れるのは大変な作業です。機械を使わないのは、もろみの中に残る米粒をつぶさないようにするためです。 40個位の袋に入れたもろみから、しずくがポタポタ落ちてきます。斗瓶という18リットルのお酒が入るきれいな瓶でそのしずくを受けます。このようにして造る日本酒は、雑味がすくなく、きれいな味のお酒になります。 しぼりたての酒を味わう
酒造り 仕込み〈伏見帖〉 できた酒母を大きなタンクに入れ、さらに蒸米と水、米麹を何度かに分けて追加して、さらに発酵させます。これを「仕込み」といいます。 通常は「三段仕込み」といって、材料を3回に分けて追加します。発酵を安定して進めるためです。1回めの仕込みには「添(そえ)」、2回めには「仲(なか)」、3回めには「留(とめ)」という名前がついています。 1回めと2回めの仕込みの間は1日おやすみします。最初の発酵が安定するには時間がかかるからです。これを「踊(おどり)」といいます。階段の踊場のように、一休みするのです。 もろみを「育てる」 材料を全て入れ終わったら、温度調節をしながら3週間から5週間、発酵させます。発酵で二酸化炭素が発生して、ぷくぷくと泡が出てきます。米が溶けて白いどろどろの液体になります。これを「もろみ」といいます。 仕込みが終わったあとは毎日もろみの状態をチェックします。その時、もろみを少しだけ採取して化学的な分析をしますが、見た目や香り、味でも判断します。 毎朝7時にすべてのタンクのもろみのチェックをする田島さんは、分析には時間がかかるけれども、人間の五感でのチェックは一瞬でできる。発酵の軌道修正をしなくてはいけない時は一刻を争うけれども、
酒造り 酒母づくり〈伏見帖〉 日本酒は蒸した米と水、米麹、酵母を大きなタンクに入れて発酵させて造ります。だからといって一度にこれらの材料を全部入れてしまっては、発酵をうまくコントロールすることができません。 そこで、まず発酵のスターターを作ります。これを「酒母(しゅぼ)」といいます。酒のお母さんです。ここから発酵が始まり、酒が育つのです。 地道な作業から酒母造りは始まる 私は幸運にも、酒母造りのお手伝いをさせてもらえることができました。「汲掛け(くみかけ)」という工程です。 桶の中に材料が全て入った状態では、まだ米と水が分離しています。米全体に水を浸透させるために、桶の真ん中に側面に小さい穴の空いた筒を入れます。そこに染み出してきた水をひしゃくですくって周りの米にかけます。もちろん手作業です。機械を使うと米の粒がつぶれていまいます。そうすると酒に雑味が出やすくなります。これを防ぐために、惜しみなく手間を掛けるのです。 この汲掛けの作業を、10分から15分に1回のペースで繰り返します。桶の水が一巡するくらいまでひたすらひしゃくで水をすくい、米にかけます。これを朝10時から夕方5時まで繰り返しました。 腕は疲れてくるし、何よりも単調な作業で、永遠につづくのではないかと思えるほどでした。でも、少しづつ米が水を吸っていく様子がわかってくると、なんだか愛着がわいてきました。「育てている」という気持ちになりました。 酵母をきたえる 酒母をつくる桶に材料を入れたあとは混ぜたり温度を調整したりして、目標の品質を目指します。温度を上げたり下げたりるすることで、弱い酵母が死に、強い酵母が生き残ります。蔵人さんたちはこのことを、
酒造り 麹づくり〈伏見帖〉 つぎは麹づくりです。 蒸した米と麹菌というカビの一種を使って日本酒の原料のひとつ米麹をつくります。麹づくりはとても手間のかかる工程です。まる3日間、昼も夜もつきっきりの作業なので、酒蔵に泊まり込みの作業になります。 麹づくりは麹室(こうじむろ)という、温度と湿度が管理できる部屋で行われます。蒸したての米をひろげて、その上に種麹(たねこうじ)とよばれる麹菌の胞子をふりかけます。すると菌糸が米の表面や内部を分解しながら伸びていきます。十分に菌糸が発達したら、米麹の出来上がりです。この過程で麹菌は米のデンプンを糖に分解するので、食べてみるとちょっと甘いです。 米の表面いっぱいに菌糸が伸びた状態の「総破精麹(そうはぜこうじ)」や表面はまばらだけれど米の奥まで菌糸を伸ばしている「突き破精麹(つきはぜこうじ)」など、違ったタイプの米麹を作り分けます。どういう味の酒を造るかによって使い分けます。 デリケートな温度・湿度管理が必要な麹づくり 麹の菌糸がどのように成長するかをコントロールするのは、温度と湿度です。米麹をつくる3日間の間ずっと、米麹の状態を見ながら、温度と湿度を調節します。 蒸した米に種麹をふりかけたあと、全体に行き渡るように撹拌したあと、袋でしっかり包みます。麹室の湿度と室温を上げ、菌糸が生えてくるのを待ちます。 菌糸が生え始めたのを確認し、包みを解いて木製のトレーに分け入れます。こうするのは、温度調節のためです。麹菌が成長し始めると自分自身でも発熱します。 1、2時間ごとに温度と米麹の状態を確認します。温度が高くなり過ぎないよう、トレーの中で山の形のように積み上げて熱がこもりやすくしたり、
酒造り 米を洗う、米を蒸す〈伏見帖〉 酒造りは、米を蒸すところから始まります。その前にまず、米を洗い、吸水させます。 この日は蔵人さんたち総出で米を洗いました。一緒に酒造りのスタートを切るのです。酒ができるまでには5週間から2ヶ月以上かかります。それまで気持ちを保ってチームで助けあう必要があります。そのために、最初の作業の洗米をチーム全員で力を合わせてやりとげるのです。 子どもが2、3人入れるような「半切桶」とよばれる大きな桶を使います。一度に10キロ程度の米を洗います。杜氏さんはストップウオッチを持って、洗う時間を測ります。 杜氏さんの掛け声で米を洗い、水を替えるのを繰り返したあと、吸水させます。私はどうしてここまでぴったり時間を合わせて洗米をするのかが不思議でした。でもあとで洗った米の重さを量っているのを見て「なるほど」と思いました。 米を洗う前の重さ、洗って吸水させたあとの重さを計量するのです。その差を計算するとほとんどぴったり30%だけ重さが増えていました。つまりその分だけ水を吸ったということです。手作業なのにほとんどぶれはありませんでした。 米の水の吸いやすさは品種やできた年ごとに違います。これを考慮しながら、どれだけの時間吸水させれば目標の30%吸水ができるのかを計算し、そのとおりに作業する。私は米洗いという単純な工程にかける丁寧さに驚きました。 ↑ 洗った米を甑(こしき)と呼ばれる蒸し器で蒸す ↑ 蒸しあがった米 ◀ 前へ 次へ ▶
伏見 酒造りの現場を体験しました〈伏見帖〉 私は、日本酒イベントを開催する中で、日本酒をもっとたくさんの人に知ってもらにはどうしたらよいかを考えていました。そこで、映像で酒造りの様子、蔵人さんたちの思いを伝えることができるのではないかと思いつきました。(この時制作した映像は「味わいストーリー」にてご覧になれます) さっそく居酒屋で出会った杜氏の田島さんに酒造りの見学をお願いしました。田島さんは「見学するだけでは酒造りの表面しかわからない。実際に体を使って体験しなさい」とおっしゃって、翌日から酒造りのお手伝いをすることになりました。 日本酒がどのように造られるかは、本を読んだりしてなんとなく分かっているつもりでした。でも、実際に酒造りのお手伝いをさせてもらって、今までよく分かっていなかった部分がすっきりと理解できるようになることがたくさんありました。同時に、蔵人さんたち一人ひとりがどんな思いで酒を造っているかを肌で感じることができました。 ここでは、この体験を元に私なりに理解した「日本酒がどのように造られるか」をお伝えしたいと思います。 日本酒は米と水に米麹と酵母という微生物を加えて造られます。とてもシンプルに聞こえますが、酒を仕込むタンクの中ではじつに複雑な微生物の活動が行われています。微生物に働いてもらって酒を造るのです。 時にはじっと待ち、時にはおしりを叩いてよく働かせて、微生物をコントロールします。そのようにして目指す品質の酒を造るのは簡単なことではありません。 日本酒ができるまで ◀ 前へ 次へ ▶
北川本家 伏見の酒造りはオープンマインド〈伏見帖〉 (これは、伏見の酒蔵北川本家の杜氏、田島さんにお伺いしたお話を元にまとめたもので、わたしのマチオモイ帖2015に出品した「伏見帖」のために書き下ろした文章です。) いま、全国には1500近くの酒蔵があります。酒どころと呼ばれる酒蔵が集まった地域は、伏見以外にも兵庫県の灘や広島県の西条などが有名です。 全国から酒造りの技術が結集 伏見は全国から米と技術が集まってできた酒どころです。これは他の場所にはない特徴です。ふつう酒蔵は水どころ、米どころに多く作られています。伏見は水資源に恵まれているものの、周辺で米が十分収穫できない状態でした。また、杜氏もいろいろな地方からの出稼ぎが主で、地元の杜氏はいませんでした。 そんな中、全国から米を集め、杜氏を集め、酒造りを競い合ってきた歴史があります。丹後、丹波、但馬、越前、広島、南部、能登などを本拠地にした杜氏の集団があって、それぞれ独自に技術を発達させてきました。伏見では、違う流派の杜氏たちが切磋琢磨し合い、交流することによって酒造技術が発達しました。 杜氏同士の交流 杜氏の田島さんにお話をお伺いしている時、何度も他の酒蔵の杜氏さんが訪問したり、電話をかけてくる風景に遭遇しました。 酒造りに困ったことや悩んでいる事があると、田島さんを頼って訪ねて来たり、また田島さんも他の酒蔵の杜氏さんに相談することがよくあるそうです。技術を競いあう側面もある酒造りで、囲い込んでおきたいような情報も、惜しみなく公開するという文化が、伏見の酒造りに携わる方々の中にあります。 2キロ四方に酒蔵が密集している伏見。そこでは杜氏同士はライバルです。交流会を開催したり、きき酒会をしたり、