伏見の酒造りはオープンマインド〈伏見帖〉
(これは、伏見の酒蔵北川本家の杜氏、田島さんにお伺いしたお話を元にまとめたもので、わたしのマチオモイ帖2015に出品した「伏見帖」のために書き下ろした文章です。)
いま、全国には1500近くの酒蔵があります。酒どころと呼ばれる酒蔵が集まった地域は、伏見以外にも兵庫県の灘や広島県の西条などが有名です。
全国から酒造りの技術が結集
伏見は全国から米と技術が集まってできた酒どころです。これは他の場所にはない特徴です。ふつう酒蔵は水どころ、米どころに多く作られています。伏見は水資源に恵まれているものの、周辺で米が十分収穫できない状態でした。また、杜氏もいろいろな地方からの出稼ぎが主で、地元の杜氏はいませんでした。
そんな中、全国から米を集め、杜氏を集め、酒造りを競い合ってきた歴史があります。丹後、丹波、但馬、越前、広島、南部、能登などを本拠地にした杜氏の集団があって、それぞれ独自に技術を発達させてきました。伏見では、違う流派の杜氏たちが切磋琢磨し合い、交流することによって酒造技術が発達しました。
杜氏同士の交流
杜氏の田島さんにお話をお伺いしている時、何度も他の酒蔵の杜氏さんが訪問したり、電話をかけてくる風景に遭遇しました。
酒造りに困ったことや悩んでいる事があると、田島さんを頼って訪ねて来たり、また田島さんも他の酒蔵の杜氏さんに相談することがよくあるそうです。技術を競いあう側面もある酒造りで、囲い込んでおきたいような情報も、惜しみなく公開するという文化が、伏見の酒造りに携わる方々の中にあります。
2キロ四方に酒蔵が密集している伏見。そこでは杜氏同士はライバルです。交流会を開催したり、きき酒会をしたり、驚くほど頻繁に杜氏さん同士で交流しています。
田島さんは、伏見の杜氏コミュニティで、ライバルというものはお互いに高め合うものだと知ったそうです。みんな同じように思い責任をもって酒を作っているし、同じようなところで悩む。だからみんな技術をオープンにしている。それがお互いを刺激し合い、高め合うのです。
歴史の中の知恵
私はソフトウェアを開発する仕事をしています。ソフトウェア開発の分野では「オープンソース」という考え方があります。ソフトウェアを秘密にして権利を守るのではなくて、オープンにすることによって、社会全体に貢献するという考えがあります。この考えが実践され、近年のコンピュータやインターネットの爆発的な発展を促しました。
私は伏見の杜氏さんたちの、情報をオープンにするという姿勢の先進性に驚きました。ソフトウェアの分野で最も進んでいると思っていた考え方は、実は古くからの歴史のなかで人間のコミュニティ活動の中にあったのです。
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参考文献
- 藤本昌代・河口充勇,2010,『産業集積地の継続と革新 —京都伏見酒造業への社会学的接近—』文眞堂。