6. 米を作り、酒を造った山根杜氏を継承する|不老泉 上原酒造杜氏・横坂安男さんインタビュー
不老泉・上原酒造の横坂杜氏のインタビュー。第5回。「秋にはお前の米を持ってくるんだぞ」という言葉を残して旅立った先代の山根杜氏。その言葉を受け止め、横坂さんは予定していなかった米作りをすることにします。しかし、そこには大きな壁が立ちはだかっていました。
「秋にはお前の米を持ってくるんだぞ」という言葉を残して旅立った先代の山根杜氏。その言葉を受け止め、横坂さんは予定していなかった米作りをすることにします。しかし、そこには大きな壁が立ちはだかっていました。
「お前の米を持って来い」
横坂: 「お前の米を持って来い、社長の確約も取れてるから」と山根杜氏は言ってくれたんだけど、実は来年植える分の種籾、米の種がもうその時期には手に入らなかったんですよ。
普通は前の年のうちに種籾の注文は締め切られちゃうんです。「横坂、お前の作った米持って来い」って言われた時にはもう種籾の注文は終わっていただけです。
でも、そう言っていただいただけで自分は十分だったので。「持ってきていんだな。俺が作った酒米を持ってきていいんだな」と思えて。
種籾の注文も終わったしなと、じゃあ1年浪人して自分の作る総の舞がどんなのになるんだろうとイメージして、そして来年持ってきますと思っていたらば。
助けてくれた農家仲間
横坂: 千葉で総の舞(ふさのまい)を作っている方が、「苗が余ったから、横坂、お前使うか」と。私が千葉県の酒屋で杜氏をやっていた時から一緒にやっていた仲間です。
私はもう諦めていましたから。でも仲間が声をかけてくれたので。
社長に「実は知り合いが、一緒に酒米を作っている仲間から、少し苗を分けてもらえることになりました」と。2反歩ありますと、2反歩あったらば、小さい仕込みならなんとか酒はできる」と言ったら、社長は「よし、持ってきてくれ」と。
それで、苗をいただいて自分の田んぼで植えました。だからこの酒にはメンバーの力の、苗を作っていただいた方の力も入ってます。
山根杜氏の跡を継ぐ
横坂: 山根のおやっさんが残された功績が大きすぎて、自分はまあ、1年目の杜氏というのは、それをしぼませることなく継承して。
これを山根のおやっさんの下で蔵人をやっていた人間が跡を継いだなと、そこまで行っていないけど、質が落ちていなかったら御の字だなと思っています。
当然、山根のおやっさんから変わるわけですから、でも山根のおやっさんの息のかかっていた奴が作っているのだったら、というところでなんとか繋いでもらう、というくらいの頭だったので。
だから、総の舞を持ってくる、自分の米を持ってくるなんてことは二の次だったわけですよ。でも仲間がつなげてくれて。
山根杜氏の米作り
横坂: 山根杜氏は自分が作った「たかね錦」という米で酒を造っていました。自分が作った米で酒を造りたいという思いを持っていたんです。
兵庫県の香美町というところ、日本海側の、海側からちょっと上がったところで、標高350メートル位あります。だから、全部段々畑、棚田。100面くらいあるんですよ。
今の私の倍作ってました。しかも段々畑で。
収穫も大変だけど、何がすごいって、山根杜氏はお米のコンクールで2618点のうちナンバーワン、金賞をとったんですよ。
(山根さんが金賞を受賞したのは「全国米・食味分析鑑定コンクール」の「水田環境部門」。2006年と2007年、2年連続金賞です)
その金賞をとった記事を見た時に、「うわー、たまんね~」というか、なんだよこの人、無添加山廃を造らせたら日本一なのに、それだけで満足しないで米作らせても日本一!
「もうたまんねーよ」というか、絶対にかなわない、雲の上の存在。
だからこそ、この人の下で酒を造ってみたいという思いになりますよね。
米作りと酒造り
―― 米作りと酒造りを両方することでわかることはどのようなことですか?
横坂: イメージできるんですよ。酒造りというのは固体を液体化するわけですから。
その固体の頭が垂れるほど、頭が垂れる稲穂かな、と。それを実感して、頭の垂れた稲穂を、その固体を俺が液体に化かしてやるからな、と。
一年中、酒造りの事で頭がいっぱいになるんですよ。酒造りが終わって蔵元から離れても。
一年中米を通して酒とつながり、米を作ったらば酒造り、酒を造ったらば米作り、というのはものすごく自然でスムーズなことなんですよ。
常に、1年中酒造りのことを考えている、酒造りのための米作りをするという思いを持った、それがしたかったんです。私には、それをやった師匠がいた。たかね錦を作って酒を造った師匠がいた。
山根杜氏から受け継いだもの
横坂: 山根のおやっさんのような、命がけで目の前のものと向き合える人間と出会えて、私は半年間山根さんから教えられっぱなしで。
今度はそれを独り占めじゃなくて、伝えていく。今度は自分が酒も造る、人も作る番なんです。
あとは自分が持っているものを一緒になって共有しながら、温故知新でいいものを取り入れながらやっていく。
でも上原酒造がすでに持っている蔵の力、上原酵母というものがあると。
先代が残してきた力、財産。次の世代に俺は何を残せるだろうか、残していかなくてはいけないものはなんだろうか、と考えると。
山根のおやっさんが引いてくれたレール。どの蔵にも守り神様はいるんだけど、それを導く、それを本当に神様という形で受け入れながら、やはり次の世代に残したい。
―― それは守り神様
横坂: そう、大切なものは目に見えないんだ。
その思いを本気で考えて。だって、玄関開けたらすぐに、酒造りの根幹が、源が湧き出ているのですから。そこで何も感じないのかと。
全てはこの水から。ここで神様が「酒を造れ」と。そ言うものが聞こえてくると思うんですよ。
小さい酒屋のポテンシャルってそこだと思うんですよ。そこからどれだけのものに膨らませることができるか。目に見えないものを形にするわけですから。
うちの大切なものは、目に見えないものなんですね。その大切なモノがわかって、そこに魅力を感じる人間、それを体で感じる人間がいい酒を造るんです。
総の舞(ふさのまい)について
千葉県の農業試験場が開発した米。千葉県は全国で9番目の米の生産量を誇る米どころです。「総(ふさ)」とは旧国名。
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横坂さんが千葉県の酒蔵で杜氏をしていた4年間、夏場には総の舞を栽培していました。
下の写真は横坂さんが千葉で栽培する総の舞の稲刈り風景です。
※ この記事の写真は横坂さんにご提供いただきました。