外出できない今、酒場のありがたみを噛みしめる〈盃のあいだ nº27〉
酒場に行けなくなって家でひとりで飲んでいると、どこか物足りなさを感じるのです。これは何だろう?
外でもひとりで飲むのが好きですが、最後に行きつけの日本酒バーで杯を傾けたのは、もう2ヶ月近く前になります。ずいぶん酒場に行っていないなあ。
ステイホームしてひとりで飲んでいると、同じ「ひとり飲み」なのにどこか物足りなさを感じるのです。この感覚は何だろう? 思い起こすと酒場では、カウンター越しにマスターと話したり、隣の方と(マスターを介して)軽い会話を交わしたりしていました。
そこでの交流はどこか離散的で、たとえば出会った人の名前を訊いたりしません。名刺交換などは無粋な世界です。僕はそんな、つながりとも言えないかもしれない緩やかな交流が好きなのです。隣のテーブルからふんわりと聞こえてくる話題や、それが醸し出す空気感もまた、酒場で飲む心地よさの一つでした。
そう、酒場にいてひとりで飲んでいても、ひとりではなかったのです。
酒場の本質はマスターと客がつくる「場」です。僕たちはその「場」を体験するために酒場に通い、同時に「場」を作り出す役割も担っていました。
今、酒場のありがたみを感じています。小さな元気をたくさんもらっていました。人生いろいろなことがあるけど、なんとかやって来れたのはこの「場」があったからなのです。
きょうも日本酒コンシェルジュ通信に来ていただき、ありがとうございます。また酒場で飲める日に乾杯!
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「場」をテーマに、日本酒が飲めるだしカフェ・だしバー「おこぶ北淸」の北澤雅彦さんにお話をお伺いしました。
こちらの本には、京都にある僕の行きつけの酒場もいくつか紹介されています。