チリで日本酒を造る、今までにない酒を造る|和田ロベルト恒多さんインタビュー
チリでワイナリーを経営し、チリで日本酒を造ろうとしている和田恒多さんは、「米をベースにした全く新しいお酒を造りたい。固定観念にとらわれない新しいお酒を造りたい」と語ります。
日本で最も重要な農作物、米。その米で造られるアルコール飲料、日本酒。海外でも8カ国約20か所で製造されています。(2015年12月から地理的表示制度により、海外で製造されたものは「日本酒」と名乗れなくなりましたが、ここでは便宜的に日本酒と記述します)
そして今、新たに海外で日本酒を造ろうと取り組んでいる方々がいます。
2016年2月、チリの首都サンチアゴでワイナリーを経営し、いままさにチリで日本酒を造ろうとしている和田ロベルト恒多さんにお話をお伺いしました。
ひょんなことからワインの世界に入った和田さん
和田さんがチリにつながり、ワインの世界に入ったのはたくさんの偶然が重なってのことでした。
外資系の通信機器メーカーでエンジニアとして働いていた和田さんは、会社の株価急落の影響でリストラにあってしまいます。2001年の夏のことでした。
することがなくなってしまった和田さん。スキーが趣味だったこともあって、「南半球なら、今は冬なので好きなスキーをしよう」と南米のチリに旅立ちます。ところが、同年9月11日のアメリカ同時多発テロのため、しばらく日本に帰ることができなくなってしまいました。
「動けないならば、この機会にもっとチリを見よう」とチリでの滞在を続けます。そこで、その後の人生を大きく変えるワインに出会うことになります。
ちょうど、その2年前には日本でワインブームが起こりました。チリから日本へのワイン輸入量が一気に4倍に増えました。しかしそれはたった1年しか続かなかったブームでした。
ブームが続かなかったのには課題があるはずだ、課題があるところにはビジネスチャンスあり、と考えた和田さんはさらにチリワインについて調べました。そうするうちに、どんどんとチリワインに魅せられていきます。
和田さんはその後、チリの首都サンチアゴにあるカトリカ大学で1年間、**エノロジー(Oenology)**を学びます。エノロジーとはワインの学問。醸造、原料のぶどうを始め、ワインに関するあらゆることを対象とした学問です。
エノロジーの授業の中で、味覚や嗅覚のトレーニングを続ける中で、和田さんは「これはスポーツだ!」と感じたといいます。
ワインの仕事を始める
ワインの世界に引き込まれていった和田さんは、「もう会社員はやりたくない、エンジニアはやりたくない。香りの商売をしよう!」とワインの仕事に就くことを決意します。
当時、日本人にはチリワインの専門家はいませんでした。和田さんはそのパイオニア。バルクワインの専門会社を立ち上げ、「こんな味わいや香りのワインを」というお客さんの要望にあわせてワインを販売しました。
その後、日本にもチリワインを出したいと思うようになりました。2004年には日本に拠点を移し、チリワイン専門の通販サイトを立ち上げ、輸入を開始。実店舗も展開し、500種類のチリワインを取り扱いました。
「最初に、ワインを造りたいという思いがありました。そのために日本で販売ルートを作りたかったのです」輸入を始めたきっかけについて、和田さんはこう語ります。
ワインを造りたい! 再びチリへ
2011年、和田さんは再びチリに戻ります。日本にいる間に結婚してできた家族ぐるみでの移住でした。
ワインを造るという夢を持っていた和田さんは、さっそくワイン造りにとりかかります。
色々なタイプのワインをブレンドして日本人好みの味わいをつくる、というカスタマイズに特化したワイン造りを手がけます。現在では「日本人がチリで造るワイン」として全国各地で紹介されるようになりました。
チリで日本酒のニーズを見つける
和田さんが住むチリの首都サンチアゴ。2001年頃には3、4店しかなかった日本料理店が、その後の寿司ブームで600店にまで急増しました。
チリのほとんどのワイナリーを訪れ、業界で名が知れていた和田さんのもとには、急増した寿司店や大手スーパーのバイヤー、ホテルなどから「日本酒を輸入してほしい」という要望が多く寄せられるようになりました。
しかし、輸入するためには、輸送中の温度管理をして品質管理をするリファーコンテナを使う必要があります。とてもコストが見合いません。「ならば、自分で造ればいい」と和田さんは考えました。
現在、チリでは米国で生産された日本酒が多く出回っています。しかしあまり品質が高いとは言えないそうです。「もっと品質の高いものを造りたい」と和田さん。
日本酒造りの勉強を始める
2016年1月から、和田さんは日本酒造りの勉強を始めます。2月にはワイナリーの技術者、ミゲルさんとともに岐阜県中津川市にある三千櫻酒造を訪問。そこで山田杜氏のもとで日本酒造りの研修を行います。
「高品質なものを造るためのハードルは高いと感じました。でも、本を読むだけではわからなかった発酵のプロセスが肌感覚で体験できたのが良かったです」と語ります。研修中の和田さんの真剣な眼差し、鋭い質問が印象的でした。
新しい日本酒を造りたい!
三千櫻酒造での研修の後、和田さんは「とにかく試行錯誤していくしかない。その中でいいものができたら、国際的な品評会に出していって、日本以外の国に輸出したい」と意気込みを熱く語りました。
「米をベースにした全く新しいお酒を造りたい。固定観念にとらわれない新しいお酒を造りたい」という、興奮してワクワク感にあふれる和田さんの表情が忘れられません。
「酒造りました」と、チリからの便り
そうこうしているうちに、チリからのうれしい便りが! 日本酒の試験醸造に成功したと和田さんがチャットで知らせてくれました。本当に行動が早いです。
「酒造りが楽しくてたまりません」と語る和田さん。試験醸造したお酒の評判は上々で、11月には2000リットルを醸造し、チリの日本人コミュニティに向けて販売を始めるとのこと。
「生産地に近いところでしか飲めない、しぼりたての生酒を飲んでもらいたい。きっと喜ばれると思います」と意気込みます。
海外での酒造りの苦労
和田さんによると、チリで日本酒を造って大変だったのは、器具を揃えること。もともとワイン造りをしているので流用できる器具はありましたが、特に米まわりで器具をつくるのに苦労したそうです
米を蒸す甑(こしき)もゼロからの自作です。火力の調整に試行錯誤を重ねたそうです。
今後の課題もやはり米まわり。精米の品質を上げることが次の目標だとのことです。
心白のある米を見つけた!
とてもラッキーなことがありました。チリで心白のある米を見つけたのです。40年ほど前に日系人が持ち込んだジャポニカ米。これを使った大規模栽培を国が支援するプロジェクトが実施されています。そのプロジェクトの中で間違えてできてしまったのがこの心白のある米、これを和田さんが見つけました。これには私も驚きました。南米で心白のある米があるとは!
固定観念にとらわれない工夫の数々
また、海外では入手が難しい酵母については、酒粕から培養した酵母とワイン酵母を使っているそうです。それぞれ違った風味の日本酒になるとのことです。
このほか、ゲブルツという品種のぶどうのワインをブレンドしたものの販売も計画中とのこと。香りのマリアージュが素敵なお酒で、ワイン好きにはおすすめできる商品です。
グローバル化する日本酒
「先入観にとらわれない、全く新しい米の酒を造りたい」という和田さんの思い。酒蔵がある地でしか飲めない「しぼりたての酒」をチリの人にも飲んでもらいたいという思い。アツいです。
地元の原料を使い地元の文化に寄り添った酒を地酒とするならば、和田さんが造る日本酒もサンチアゴの地酒だ! そしてこれがグローバル化する日本酒なのだ! 和田さんの話を聞いて、ワクワクしながら確信しました。10年後、20年後、この地に根付いてどのように発展するかが楽しみです。
参考文献
- 清酒業界の現状と成長戦略〜「國酒」の未来〜 株式会社日本政策投資銀行企画部、2013年9月。
- 地理的表示「日本酒」の指定について 国税庁、2015年12月。