2. 家業に戻り、新製品を開発|津乃吉 吉田大輔さん
就職した食品会社で「友達に商品をすすめていない自分」に気がついた吉田さんは、家業の佃煮屋を継ぐ決意をします。そこで最初に開発した「かつお味噌」はヒット商品になりました。
社会人になってから実家を意識するようになった
— 家業を意識するようになったきっかけは何ですか?
実家の商品に興味を持ちはじめたのは社会人になってからでしたね。社会人になったこと、家を出たこと、一人暮らしをするようになったことで、食に対する興味が一気に増えました。それで、自分とこの津乃吉を意識するようになりました。
津乃吉と自分の勤めている会社と、「同じ食品会社としてどんな違いがあるんやろ」ということに興味を持ちだしました。津乃吉のホームページを見て、「ああ、こんな商品あるんやと」。家に帰ってきた時などは、父に「こんな商品を作る時って、細菌の制御とかどうしてんの?」とか聞いたりしました。同じ食品業界で共通の話題もあるんで、そういうのを話しあったりしました。
友達に商品をすすめていない自分
— 家業を継ぐことは最初から決めていたんですか?
実はそうじゃないんです。30歳で将来をどうするかを決める、という風には思っていたんですが、最初からどうするかを決めていたわけではないです。
30歳に近くなってくると、食品会社の仕事は楽しくなってきていて、ある程度の役割もいただいていました。後輩もどんどん増えて、「一緒に何かを作る」という意味ではやりがいもありました。
でもやっぱり、仕事としては続かないな、と思ったんですよ。30歳に近づくと、どんどん生き様とか生き方というものが大事になってくるじゃないですか。50歳、60歳になった時に、子どもに「仕事こんなんしてる」って絶対言えへんなあと思うこともあったり。
一番自分で愕然としたのは、「友達に自分のところの製品をすすめていない」って気付いた時なんですよ。食品を開発していたので、自分が作ったものが世に出るということはもちろんあったんですよ。でも、絶対に友だちに言わなかったですし。
「あー、なんか寂しいな」と。ものすごく大切な人に自分の仕事のよかったことを伝えられない、というか。そこで、ちょっと愕然として、「やっぱり戻ろうかな」というのはありましたね。それが9年前、30歳になる手前でした。
最初の商品開発、かつお味噌
— 最初の商品「かつお味噌」はどのように開発されたのですか?
「素材を使い切る」ということが津乃吉の理念の柱の一つにあります。佃煮などをつくるときに出る「だしがら」、かつおとかのだしがらですね。これをどうやって使い切ろうか、という課題が僕らの中にあったんですよ。
ふりかけにしてみようとか、色々なアイデアがあったんですけど、僕は「かつおが湿ったまま使ったほうが断然いい」と思っていました。
それで調べてみたら、九州にかつおを味噌に混ぜたものが実はあったんですよ。そういうのをつくろうということになりました。どの味噌を使うか、他の調味料をどういうものを使うかというのは社長が考えました。
__「素材を使い切る」という理念や商品開発のストーリー__があると、自分が売り込みに行く時に絶対にいい話ができるし、売れると思いました。それで、「こういう商品がほしい」と社長に言って中身を作ってもらったのがかつお味噌なんです。
僕が課題からコンセプトを考えて、味は社長が作りました。社長はお題にあった味を作るのが得意なんです。
— かつお味噌の反響はいかがでしたか?
店頭で試食に出したり、友達に食べてもらったり、知り合いのお店に持って行って食べてもらったりしましたが、むちゃくちゃ反応が良かったんです。
「これはキタ!!!」
って、まずは僕らが盛り上がったんです。
社長は出来とかクオリティーについては「うまい」「まずい」と、きちんと言うので、その社長に「これはうまいわ!」って言ってもらえて嬉しかったですね。
「これは美味しい!絶対売れる!」って、これはもう、自信の商品ですね。
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