/ 酔いの余白

地酒って何? 地酒と日本酒はどう違うの? 〈酔いの余白〉

はんなり酔吉 はんなり酔吉

「地酒」の始まり

地酒という言葉が使われる前は、灘・伏見の大手銘柄(全国銘柄)に対し、地方の酒は「どこどこの地の酒や地廻りの酒・郷土の酒・さとの酒・里の酒」として、地元の人たちや、地方銘酒ファンに呼ばれていたのでしょう…。

1968(昭和43)年ごろに、読売新聞の味の特集記事に「地酒」という表現が使われたのが、今日使われている「地酒」の始まりと云われています。

その後の国鉄の「ディスカバー・ジャパン[1]」キャンペーンが象徴した「地方の時代」と共に、「第一次地酒ブーム」の雄、新潟の越乃寒梅・雪中梅、宮城の浦霞、秋田や広島等の地酒ブームが起こり、定着して使われるようになりました。

地酒はその土地の文化そのもの

一口に地酒と云ってもその定義が確立されているわけではありません。一般的な認識では次のように云われております。

「地酒」の字が示すように、「地」の酒、すなわちその土地の酒が地酒です。

地酒はその土地の文化そのもので、地元で造られ地元で愛され飲まれるのが地酒かと思われます。

ですが、これだと日本酒の一大産地の兵庫県の灘や、京都の伏見の大手ナショナルメーカーの酒も地酒と云えることになります、そのイメージはありません。

やはり、手技や手仕事で造られた酒としての価値やイメージではないかと思います。

日本人の繊細な手仕事、情緒的感性、伝統を重んじる心。日本酒は神と人との交流に端を発し、人・土・水・風などが複雑にブレンドされたもので、地方によってさまざまな表情を持っている、風土のシンボルとしての存在でもある。(一部抜粋)

――クリスチャン・ボラー(元トゥールダルジャン日本代表総支配人)

出典: 上野伸弘 著『日本酒の古酒』帯

「日本酒」という言葉、「地酒」という言葉

「味」も「言葉」も普遍的ではなく、時代と共に変化し成長し様々な解釈が生まれます。「日本酒」と「地酒」という言葉を、ビールに置き換えて考えると……、

「ビール」と「地ビール」

  • ビールは平凡な味     大量生産  普通
  • 地ビールは個性的で旨い  少量生産  高い

「日本酒」と「地酒」

  • 日本酒は平凡な味     大量生産  安い
  • 地酒は個性的で旨い    少量生産  高い

地酒」は「日本酒」にとって、最高の惹句、名セールス・キャッチコピーかと感心してしまいます……。

昭和の「地酒」と平成の「地酒」

昭和時代 「地酒は地元を離れてはいけない」
平成時代 「地酒は地元を離れ、都会でキレイになり旨くなる」酒の甲子園 東京へ

まったく相反する箴言ですが、二つの時代背景を探ると納得出来るかと想われます。

昭和の地酒

「昭和の地酒」時代は「地酒は地元を離れてはいけない」[2]と云われていました。昭和35(1960)頃の日本酒は「第一次日本酒ブーム」と云われ、テレビCMや級別制で煽られた大手銘柄ブームと灘酒の辛口ブームがおこります。俗に云う「昭和の地域ブランド時代」です。

そして、昭和45(1970年)ごろに地方酒が中心となる第一次地酒ブーム(第二次日本酒ブーム)がおこります。

同じくして国鉄の「ディスカバー・ジャパン」観光キャンペーン企画により、「地方の時代ブーム」おき、地方の日本酒が「地酒」として脚光を浴びます。地方の文化や観光の魅力や良さが認識され、日本酒においては大手銘柄の平凡な酒質と比べ、地方の風土に根差した地酒の特徴や手造りに対しての評価が人気となります。

全国的に人気が出ると地酒は都会へ向きがちになり、味の傾向も都会的になりがちですが、地方の味を大事にして「地酒の味を守ろう」と、発せられたのが冒頭の警鐘の言葉です。

その頃の日本酒の消費は全盛期を迎え、隆盛産業の時代背景があります。昭和48(1973)年には、日本酒の生産量が最高の1,000万石(180万KL)に達し、酒蔵の数は3,300蔵を誇りました。地酒が地元の消費者に飲まれ、地場産業として成り立っていた時代です。

平成の地酒

一方、現代の「平成の地酒」時代は都会を目指し、「地酒は地元を離れ、都会でキレイになり旨くなる」と云われます。いわゆる「平成の銘柄ブランド時代」です。

現在の日本酒の消費は、全盛期の1/3の300万石(55万KL)、酒蔵の数は1,250蔵と減少の一方です。もはや地元で飲まれるだけでは企業として生き残れない、日本酒が飲まれない時代になっています。

平成18(2006)年に酒税法が開催され、政府の行革の一つで酒類販売免許が完全に自由化されました。酒類流通業界の大再編で、コンビニ・スーパー・デスカウントストアーの新規参入を促し、街の酒屋さんはどんどん潰れて、地元の酒を売ってくれる酒屋さんがないのが現状です。

そこで、生き残りをかけて次代の経営者は販売活路を求め都会を目指します。東京のメディアやマスコミで取り上げられ、東京で人気が出れば、今どきの酒となり全国人気になり期待をかける訳です。

このような人気の銘柄の多くは、平成時代の前半以降に蔵元や杜氏の世代交代で造られた銘柄(「ネオ地酒」とも云えます)が多い様です。

この頃より、「昭和の地域ブランド時代」から「平成の銘柄ブランド時代」へさらに加速されていきます。時代の背景として、「地酒と全国酒」「日本酒の消費量やブーム」との関係が、大きく関わった象徴的な言葉かと思われます。

「近江蕪の炊いたんに うまい日本酒 近江のうまい地酒あります ! 」

酔吉



このコラムの著者、はんなり酔吉さんのインタビュー記事です


  1. ディスカバー・ジャパン: 1970年代から国鉄が個人旅行客の増大を目的に行ったキャンペーン。 ↩︎

  2. 吉田健一の言葉。昭和の首相・吉田茂の長男、英国育ちのケンブリッジ大学中退の英国文学者・小説家・批評家。日本酒を飲み始めたのは日本に帰って来てからだが、日本酒の随筆「酒肴酒」「酒に飲まれた頭」や「私の食物誌」の「酒については、酒が教えてくれる」も有名。雑誌「酒」(佐々木久子編集長)の昭和48年新年号「文壇酒徒番付」に勝負審判委員として名前を連ねる酒豪。 ↩︎