京都で吟醸酒の酒房というジャンルを切り開いた|吉田澄男さんインタビュー〈前編〉

京都で吟醸酒のバー「花観酒房」を開き、長年マスターを務めた吉田澄男さんのインタビュー。前編は吟醸酒の酒房を開くまでと昭和の日本酒・平成の日本酒のお話です。

京都で吟醸酒の酒房というジャンルを切り開いた|吉田澄男さんインタビュー〈前編〉

京都で吟醸酒のバー「花観酒房はなみしゅぼう」を開き、長年マスターを務めた吉田澄男さんにお話をお伺いしました。

花観酒房は京都に吟醸酒の日本酒バーというジャンルを確立したパイオニアとして知られています。なぜ吟醸酒のバーを開こうと思ったか、どのようなお店を作り上げていったか、吉田さんの日本酒人生を語っていただきました。

「これからは吟醸酒の世界になる!」と確信した30年前

吉田さんは「花観酒房」を始める前は京都のホテルに勤務していました。その後、神戸にオープンしたホテルに転勤となりましたが、京都を離れたくなかったので、遠距離通勤を続けたそうです。

―― ホテルではどういった仕事をされていたのですか?

吉田: 料飲部で料飲サービスをやっていました。とくに日本酒をやっていたわけではありません。でも日本酒は好きでよく飲んでいました。

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ホテル時代の吉田澄男さん。唯一の趣味がスキーだった

―― どんな日本酒を飲んでいたのですか?

吉田: 和食が好きだったのでよく食べに行きました。和食を食べているとどうしても日本酒を飲みたくなる舌になりますよね。それで日本酒を注文するけど、飲んだらぜんぜんイメージと違うんですよ。その頃のお酒といえば普通酒の燗酒で、アルコール感がカーっと来て、おいしいとは思わなかったです。

ある時、日本料理の「なだ万」で浦霞の大吟醸の冷酒を飲んで、「これはうまいな! これだったら自分の舌に合う」と思いました。

当時は第一次地酒ブーム。ブームの雄は有名な越乃寒梅とか雪中梅だったんですけど、ブームの立役者は宮城の浦霞だったんです。

多分これからは吟醸酒の世界になるのと違うかな、と思いました。

「花観酒房」を開くまで

吉田さんは45歳になって、京都・神戸間の長距離通勤にも疲れを感じるようになってきました。人生に疑問を感じるようになり、色々考えて日本酒バーを開くことになります。

―― 「花観酒房」を開くことになってきっかけを教えてください

吉田: 長距離通勤でさすがに体にも来るようになってきて、「これはちょっと違うな」と思うようになりましたね。なんやかんや考えて商売をすることになりました。

祇園で店を開くことなんて考えてなかったのですが、たまたま祇園に気に入った物件が出たので。居抜きで。それまでは祇園に遊びに行ったこともそんなになくて、まさか祇園でやるとは思っていませんでした。

お店の名前と看板

―― どういう店にしたい、というのはあったのですか?

吉田: 「吟醸酒の酒房」です。浦霞の吟醸酒を飲んで「これからはこういうお酒の時代になる」と思っていましたので。

―― お店の名前はどのようにして決めたのですか?

吉田: お店の名前は俳優、笠智衆の奥様、花観夫人からです。私は子供がなかったので、女の子ができたら花観という名前をつけようと思っていました。それで子供をあやすように店を大事にしていきたい。それで「花観酒房」という名前をつけました。謂れを聞きつけ、笠さんの親戚の方が来たことがありました。嬉しかったですね。

「花観酒房」の揮毫きごうは有名なお寺さんの住職さんに書いてもらいたいと思っていました。お寺さんにお願いできたら、品格があるし、お店にも気合が入るからです。それから、お寺さんだとお店に色がつかなくて無難です。

ちょうどその頃、あるご縁で知人を法界寺の誕生院へご案内することがありました。浄土真宗の開祖、親鸞が生まれたお寺です。

その、法界寺のご住職、岩城秀雄師に揮毫を書いてもらいたい、と思いました。その時、私ももう45歳でしたから、由緒あるお寺さんに居酒屋の看板を頼んでも門前払いされると分っていたわけですが。

―― それでも、どうしても書いてほしかったんですね。

吉田: 自分もお西さん(西本願寺)なので、これもご縁かなと思い、三ヶ月くらい通いました。一回目にお参りするときは、揮毫のことについては何も言わず、二回目のお参りで岩城秀雄師にその意向だけを伝えたのです。三回目では般若湯を携えて、般若湯というのは日本酒のことですね、お願いに参りました。

―― 3回目でやっとお願いを。

吉田: 高島屋の年末助け合いオークションで京都の有名なお寺や神社の方々、文化人の方々の作品が出品されるんですね。そこで岩城秀雄師の書が出品されていたので手に入れました。

四回目のお参りで、ありがたく頂きましたの旨をお伝えに行きました。もちろん般若湯を携えて。そして五回目で正式にお願いしました。ご寄進させていただきます旨もお伝えしました。

なんとか熱意、本気度が伝わったでのしょう。ご快諾を受けることができました。これもご縁やな、と安堵しました。

これが、花観酒房の看板誕生ヒストリーです。

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「花観酒房」オープン

吉田: そうやって丸一年準備して、1994年3月15日に花観酒房をオープンしました。やはりお店を開くのには、物件を見つけるのと料理人を探すのが一番大変でしたね。あとは自分で動いたらなんとかなります。

私がよく行っているお店の女将さんが、「一年間かけて準備やって来たから、昨日今日の思いついてやった店やないから大丈夫」と言ってくれたのを覚えています。嬉しかったですね。

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「花観酒房」開店の日。店の紋は瓶子へいし[1]に袱紗で被い飾り紐でお洒落したもの

吉田さんが選んだ日本酒のラインナップ

―― 花観酒房は「吟醸酒の酒房」として、その吟醸酒のラインナップはどうやって選んでいたのですか?

吉田: 最初に取引があった酒販店の日本酒専門の方です。彼と2人で決めました。最初は40種類。それからは試行錯誤を重ねてラインナップを変えていきました。

―― どういう試行錯誤をされたんですか?

吉田: あちこちのきき酒会に行ったり、酒蔵を訪問したり、本を読んだりしてですね。あとは、試飲して自分の好みの酒を入れました。ただ、自分の好みだけではいけないので、主観を入れながらなるべく客観的にラインナップを揃えていきました。

―― お客さんのリクエストを聞いたりはしたのですか?

吉田: それはしません。一応はお聞きして参考にはいたしますが。

―― どうしてですか?

吉田: 勧められることがあるんですけど、飲んでみたら、「んー」というのが多いです。やっぱりお客さんによって嗜好は違いますから。

ただ、「この人はきき酒ができる」と思ったら違いますけど、そういう人は少ないので。

うちで扱っているお酒って、日本中の蔵元は全国で1,260ありますが、その中で問屋さんがピックアップして、地酒専門の酒屋さんがピックアップして、さらにそこから私がピックアップした酒です。旨いに決まっています。自分の舌を信じて、あとはお客様の好みです。

昭和の日本酒・平成の日本酒

―― ラインナップは最初から全国の酒をターゲットにしていたんですね

吉田: そうです。吟醸酒と純米酒ですね。

―― 当時の日本酒はいまと比べてどういった感じだったのですか?

吉田: いまよりもっと地方色が強かったですね。東北や福井、新潟、広島、九州などゾーンで売られていました。今は点でしょう。当時、25年前はこれからの吟醸酒、純米酒、といった酒が多かったですね。まだまだ地方のお酒らしさがありました。

今は、洗練されています。酒質や感覚、酒との向き合い方が洗練されています。いまはネット時代で情報がどこにいても手に入りますでしょ。25年前はそんな時代ではなくて、地方のお酒、それぞれの地域の良さがありました。

それが、今は洗練された全国区的な酒になりつつあります。だって、今有名なお酒の銘柄、飲んでどこの地方のお酒かわからないでしょう。

25年前は面、ゾーンの酒、今は「個」の酒、その蔵の「個」の酒になってきているんです。今は全国で飲まれないと成り立たない。酒質を地元消費に合わせるか、都会風に合わせるか。

昭和の時代は「地酒は地元を離れてはならない」だったけど、今は「地酒は地元を離れて東京でさらにおいしくなって」という時代です。

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―― 全国区の酒というのはどのようなものがありますか?

吉田:
今時の典型的なのは「獺祭」ですね。山口県の片田舎の酒だったけど、山口で売るために社長も頑張ったけど、もともと山口には五橋とか金冠黒松とか、有名なブランド銘柄があったんです。地元では太刀打ちできないから、東京に行った。石川の「菊姫」ストーリーと同じです。

最初に飲んだのは、大阪の「太閤園」の「純米酒の会」でした。遠心分離機を採用した直後の頃ですね。その時はわたしにとって「なんでもない酒」でした。きれいすぎて。

京都で最初に獺祭を有名にしたのは「日知庵」の大将でした。そこで獺祭を飲んできた自覚的日本酒ファンのひとりに「吉田さん、なんで獺祭、置かへんの?」ってしきりに勧められて。そこまで言うんだったら一回飲んでみよう、と飲んだら、おいしかった。よく考えられた酒だと思いました。10年の間に酒も自分の舌も進化したわけです。それで獺祭を置くようになりました。

それから、島根県の「王禄」。20年位前に大阪の「山中酒の店」が取りまとめている集まりがあって、兵庫まで王禄の契約栽培の山田錦を見に行ったことがあります。そこで飲んだんですけど、あまり印象に残らなかった。

ところが、10年位前に「祇園さゝ木」に行ったら、そこに王禄の超辛純米(現在の「超王録」)が置いてあったんです。飲んだら、「これは旨い! 食中酒にぴったりやな!」と感動しました。さゝ木さん、料理はもちろん酒も吟味してるな、と感心しました。それで、翌日すぐに酒屋さんに行って店にいれました。

〈後編〉花観酒房の真髄は「サービス」


  1. 瓶子: 松尾大社の参道入口に右側に一対ある大きな瓶形の容器。酒を入れて注ぐためのもの。神棚にも使われている。 ↩︎