私たちは忘れない… 波瀬正吉翁の記憶〈酔いの余白〉
私たちには、祇園祭がくれば偲ぶ人がいます。吟醸王国・静岡県の銘酒、「開運」土井酒造場の前杜氏「波瀬正吉」翁。平成21(2009)年7月16日、祇園祭宵山の日に惜しくも現役のまま77歳でご逝去されました。
祇園祭がくれば思い出す人がいます
こんこんちきちん♪ こんちきち♪
6月30日の「夏越しの祓い」が済むと、うっとうしい梅雨ともうすぐお別れ…。京の夏は七月に入り、むし暑さとともに祇園祭一色に染まります。町衆の伝統を守る誇りと慶び、子らの笑顔、訪れる人たちのときめきと歓喜。一ケ月の間祭りは賑わいます。
私たちには、祇園祭がくれば偲ぶ人がいます。吟醸王国・静岡県の銘酒、「開運」土井酒造場の前杜氏「波瀬正吉」翁。平成21(2009)年7月16日、祇園祭宵山の日に惜しくも現役のまま77歳でご逝去されました。
能登杜氏四天王 波瀬正吉
静岡県は全国銘柄の銘酒「磯自慢」、「初亀」、「喜久酔」など人気実力銘柄が犇めき、地元の志太杜氏や南部・越後・能登の各杜氏集団がしのぎを削る銘醸地です。
波瀬正吉翁は「菊姫・常きげん/農口尚彦」「満寿泉/三盃幸一」「天狗舞/中三郎」[1]と並ぶ能登杜氏四天王の一人、能登杜氏の歴史に残る名杜氏の一人です。
昭和43(1968)年に「開運」蔵に杜氏として招聘され、41年間勤められました。その59年間の酒造り人生を現役杜氏のまま全うされ、蔵元の土井清幌社長とともに「開運」の土井酒造場を銘醸蔵に育て上げました。
波瀬正吉翁は静岡酵母HD-1の育ての親としてもその名を残しています。HD-1のHは波瀬正吉、Dは土井清幌より命名されています。静岡県を吟醸王国に導いた立役者と言われる酵母で、静岡県工業技術研究所の河村傳兵衛先生が開発したものです。
余談ですが、波瀬正吉翁は酒造りの人気漫画、尾瀬あきら作の「夏子の酒」に登場する山田信助杜氏のモデルとされております。
冠酒の名酒「開運 能登流 波瀬正吉」
名酒「開運 能登流 波瀬正吉」は冠酒の先駆けです。ラベルの真ん中の銘柄が居座る場所に「波瀬正吉」と本人手書きの杜氏名が墨痕あざやかに記されております。季節杜氏としては、自分の名前が冠につくのは大変名誉なことです。大いに杜氏仕事を勇気づけられたことでしょう。蔵元の波瀬正吉に対する信頼も感じられます。
この酒は酢酸イソアミル系の軽いメロン様の香りと旨味たっぷりの生酒で、辛口のキレのよい力強い男酒、存在感のある個性的な味が魅力です。能登杜氏の多くが使う金沢酵母ではなく地元の静岡酵母HD-1で醸されています。
バブル期の地酒を象徴する高級酒で、蔵のフラッグシップでした。「開運」という縁起のよい名前とともに、たくさんのファンに愛され、呑まれた垂涎の冠酒です。私もこの酒に魅せられた一人です。
この後、同じく能登杜氏の「喜楽長・天保正一」「天狗舞・中三郎」「初亀・滝上秀三」や南部杜氏の「東北泉・佐々木勝雄」など[2]の冠酒も発売されました。有名杜氏が脚光を浴びた輝かしい時代でした。
大方、一升瓶の価格が福沢諭吉でしたが、自覚的日本酒ファン(自他ともに認める日本酒ファン)の間では圧倒的にレアな人気酒した。冠酒の人気は昭和から平成にかけての時代が産んだ一つの象徴です。
現在、この冠酒は波瀬正吉が造った「作 波瀬正吉」に対して、師の薫陶を受けた弟子たちのひとり、現・榛葉農杜氏が引き継いで造られ「伝 波瀬正吉」として販売されております。一時は、土井社長の同じ酒質の酒は造れないと判断されたそうですが、根強い酒販店や飲食店、ファンの方々の熱い念いが伝わったことで「伝 波瀬正吉」は商品化され、今も人気酒として愛され飲まれております。
人間・波瀬正吉翁
酒蔵を訪問してお会する機会がありましたが、巷のうわさ通りの「シャイで素朴で優しい」好々爺という印象でした。あの力強い酒を造るエネルギーはどこから出てくるのかと不思議に思いました。生まれ育った北陸の能登半島の厳しい気候や、ハードな農作業や酒造りの生活環境が培ったとしか想像するしかありませんが…。その頃は、杜氏や蔵人は酒造りの期間中は正月であっても自宅で家族と一緒に過ごす事がないほど、酒造りに命をかけて従事していた時代でした。
そして、お座敷で当主の土井蔵元ときき酒しながらお話を伺っていたら、お昼時になり静岡名産の鰻をご馳走になりました。その鰻重を運んで来たのが杜氏本人でビックリ仰天! 更に驚いたことに、障子を開けて配膳しようとするではありませんか!! 私は上座にいたので、思わずお尻が上がりかけ。心の中でエッ! ホンマかいな!!!
蔵元の「そこへ置いといてください」との声。ほっと安堵したのを今でも鮮明に覚えております。おそらく、奥様がお忙しそうなので気を廻し手伝おうとしただけなのでしょうが…。後から奥様がお吸い物とともに現れ、事無きを得て鰻重を堪能した、懐かしき鰻重事件でした。
帰りの電車で、一緒に伺った同人たちに実はこんな事があったと話しました。良人・波瀬氏の客人へのもてなしが誠実に素朴に不器用に現れた行動だったのだろうと。「本当にいい人だなあ…」と、感慨にふけりました。人間・波瀬正吉翁を感じた体験でした。
最近は、きき酒会や酒蔵見学等で蔵元や杜氏にお会いする機会が多く、互いの距離も近くなりました。お酒の味とともに人柄も機敏に感じとることができて、まるで「鮨屋で鮨とともに職人の人柄までも食べる」かのように、相まって楽しむ結構なる時代でもあります。あまり酒に思いや感情をブレンドすると煽情的になり、ついつい深酒になりご用心を!
私たちは忘れない…
「季節杜氏」は30年前の37.4%から15.9%と大幅に減少しています[3]。酒造りの現場も大きく変わってきております。出稼ぎの季節杜氏制度の崩壊は目前で、次の時代には10%を割るのではないでしょうか。
季節杜氏に変わって急増している「社員杜氏」や「蔵元杜氏」が冠酒を名乗るのは風潮からも考え難いので、今後の冠酒は季節杜氏のスーパースターやビッグスターが生まれない限り出ないように思われます。
「振り向くな、振り向くな、後ろには夢がない」は、稀代の名馬を偲んだ寺山修司の「さらばハイセイコー」の一節ですが、私たちにも忘れられない「記憶の酒や杜氏」があります。
昭和と平成の時代を培った人たちを、「私たちは忘れない」。次の時代にも!
「私たちは決して忘れない」開運 波瀬正吉と彼を!!
「鱧喰らう 人生うしろ ふりむくな」酔吉